丸よ小泉商店の歴史

沿革

丸よ小泉商店は、常滑焼急須を主に扱う産地問屋です。令和元年に創業七十周年を迎えました。創業から一貫してBtoB(法人向け)流通の一翼を担い、つくり手、販売店様と協同し、アジアや欧米にも常滑焼急須を広めて参りました。日本の食文化に世界の関心が高まる中、常滑焼急須は一層の評価をいただいております。

創業当時(担ぎ屋)

丸よ小泉商店初代の小泉頼二は、終戦直後に勤め先の常滑焼商社を譲り受けました。当時の産地の主力商品であった陶管(陶製土管)や鉢、衛生陶器の流通を担うかたわら、常滑焼の朱泥急須の普及に力を注ぎます。まさに「担ぎ屋」として、朱泥急須を携え全国各地に足を運び、商談に臨みました。感銘を受けたものは、誰かに伝えたくなります。頼二には、常滑焼急須への想いが満ちていたことでしょう。

常滑初のカタログ販売

戦後の高度経済成長に合わせて、家族がお茶の間に集い、テレビを観ながら急須でお茶を飲むようになりました。常滑焼急須はおいしくお茶の淹れられる優れた日用品として、愛用されてきました。二代、鯉江公司は若干25歳にして家業を受け継ぐと、市場の変化に対応し常滑で初めて朱泥急須のカタログ販売の仕組みを構築しました。

つくり手との協働

カタログで発信された多様な常滑焼急須は、津々浦々で支持を受けて今にいたります。現在では、取り扱いのある窯元及びつくり手は100社以上に及びます。広く社会を洞察し、マーケットの要請に応えるかたちで常滑焼産地のつくり手と協働、さまざまな挑戦をおこなっておりますが、常滑焼産地の提案力、商品力、流通品質を担うために、つくり手との協働を欠かすことはできません。

常滑急須の多様さと成熟

常滑焼産地の顔とも呼べる常滑急須に無いものはありません。人間国宝を輩出した窯元から、かたや量産対応可能な設備を持つ窯元まで、陶業と陶芸が追求されています。手と道具を用いた成型技法や、急須の土肌を仕上げる加飾技法の諸々は常滑で培われてきました。

活動内容

常滑の「常」は「床」(地盤)、「滑」は「滑らか(なめらか)」の意味で、滑らかな粘土層が多く露出することから地名として定着しました。この地質を生かし、中世には甕や壺や鉢など、近代からは陶管、タイル、急須などの「炻器(せっき)」と呼ばれるやきものがつくられ、人々の暮らしを支えてきました。私たちは常滑の風土のもと先人が育んできた「滑らかな やきもの」の文化を継承していきます。

常滑焼急須を主とした、日本の茶器の文化を今後世界にも広めるべく、創立から70年掲げてきたロゴマークをリデザインしました。常滑において大成した横手急須と、弊社屋号の「○」と「よ」の融合です。急須と共に、地元常滑や世界中の町、家庭で親しまれるロゴマークになるようベストを尽くして参ります。

常滑焼
急須コーディネーター

弊社では、おいしくお茶を淹れられる常滑焼急須の魅力を全世界に広める人材の育成、交流のための団体「常滑焼急須コーディネーター協会」を立ち上げました。この「常滑焼急須コーディネーター」は一年間の育成プログラムを学んでいただければ誰にでも取得できます。
良い急須でお茶を淹れる、これこそ人生の豊かさです。常滑焼急須で淹れるお茶は自信を持って人に味わっていただけます。「お茶は喉の渇きを癒すだけでなく、心を癒す飲み物」と言われます。常滑焼急須コーディネーターとして人に感動を与えられる人になりませんか。